このサイトの趣旨

このサイトは、その名の通り、日本で言うところの理科系の人々のために、哲学・芸術・美といった、ふつう、文科系の最たるものとされる内容について、いろいろな角度からのお話を提供することを目的にしてオープンしました。発起人はこのページの下にあげた通り工学系大学の出身で、かつ、大学で仕事をしてきた者です。私たちは、これまで、理科系の中でも特に工学系の人々の間で仕事をしてきて、そこで働く教員や研究者そして学生たちが、工学という分野と対照的とされる哲学や芸術、美というものに、明確な関心を持たないことが多いことを身近で見てきて、それに危機感を感じてきました。

技術立国として繁栄してきた日本の成長にかげりが見え始めたのは、だいぶ前のバブル崩壊のころになりますが、その後、2000年直前に出現したインターネットをベースにした世の中の激変を経験し、現在、日本の産業の世界競争力の低下は私たちが見ての通りです。あれほど栄華を誇っていた日本の大手家電メーカーは軒並み根本的な業績不振に苦しんでいます。それに対し、非常な勢いで伸びているアメリカのGoogle、Apple、Amazon、Facebookといった企業は一体、わが国のやり方とどこがどう違うのでしょうか。なぜ、あそこまで劇的な成功を収めることができるのか。そしてなぜ日本企業は抜群の技術力を持っているにもかかわらず、彼らのように新しい価値をなかなか作り出すことができないのか。

その根本の一つに、技術を支える人々に、哲学や芸術、美といった柔らかい知識についての素養が不足していることに一因があるのではないだろうか、というのが私たちの予想であり、仮説です。西洋文明はその便利さと快適さの追求により世界の生活クオリティを劇的に向上させました。二十世紀は科学を基礎とする工学の勝利の時代と言えるでしょう。西洋の科学の歴史は長く、古くはアリストテレスより始まり、後、デカルトたちがその応用の基礎を作り、現代まで綿々と続いて来ました。哲学思想史を紐解くと、西洋では、科学文明の完全なる勝利とほぼ同時に、その限界が強く意識されていたことが分かります。我々日本人が西洋から科学を輸入し、これを十全に使いこなし空前の技術国家を作り出している時に、すでに西洋ではその限界を意識し、これを突破しようとするムーブメントが起こっていたのです。

二十一世紀になり、今の欧米が主導となって起こっている現代型のテクノロジー社会は、実は、そのデカルト型の工学の限界を超える西洋人の試みが見事に開花したものではないでしょうか。この事情に気付くには、そのテクノロジーの表層だけを追っていてはだめで、その深層にある、欧米が追及してきた深い核となる思想を理解する必要があります。彼らはそのような検討を通していわゆる「ポスト工学」を生み出したのです。そして、それこそが、このサイトで追及している、哲学、芸術、そして美の問題なのです。

日本は、西洋における哲学のような厳しい論理的世界追及の伝統を持っておらず、かつ、西洋で十九世紀に起こった芸術上の反逆のムーブメントも持ちません。しかし、日本は日本で、西洋にはない、ユニークな、執拗な「美」の探求の歴史を持っています。日本のビジュアル文化の感覚の鋭さは世界的にも群を抜いていると言えるでしょう。実は、その中に、西洋のデカルト的限界を超える種子が含まれていたとしたら、どうでしょう。たとえば、テクノロジーにより世界のあり方を変えたともいえるスティーブ・ジョブズその人が、禅を信奉し日本そして東洋に非常な興味を持っていた、というのは決して偶然ではないのです。彼は、東洋的なものの中に西洋の方法論を超える鍵を見出し、それを具現化することで、二十世紀型のエンジニアリングを乗り越えて、二十一世紀のテクノロジーを新たに生み出した、と考えてよいのではないでしょうか。

この点において、欧米ははるかに先を行ってしまいましたが、前述のように、日本には長い伝統を持った深い文化的素養があります。それを開花させるには、特にデカルト型の工学に携わっている者が、視野を広げ、欧米の思想の中核となる、哲学、芸術、そして美、というものを理解し、これに親しむことが極めて重要なことと考えます。ひょっとすると工学系の人々は、そんなのはひどく回り道なやり方で、雲をつかむような話で、方法としてもはっきりしない覚束ない話だ、と感じるかもしれません。しかし、これまでの欧米の発展の様子を辿ってみると、今現在のこの新しい流れは、実は、彼ら西洋人の思想の行方と一体であることを気づくはずです。

この回り道以外に、もう、道は無いのです。少なくとも、これが我々の仮説です。本サイトがそれにどこまで貢献できるかは分かりませんが、私たち日本が現在の苦境を突破して、次の豊かなユニークな価値を作り出すようになることを信じて活動して行きたいと思います。

(林 正樹)


メンバー

長島 知正

70年早大大学院・理工・修士了。北大・工を経て92年室蘭工大教授。非線形ダイナミカルシステム、感性情報学の研究に従事。現在、室蘭工大名誉教授。早大理工研招聘研究員。感性工学会出版賞受賞(感性と情報)。99年NLP委員会委員長。著書「Biometrics and Kansei Engineering」(共著、Springer)等。

林 正樹

83年東工大・理工・修士了。99年東工大にて工学博士。83年、NHKに入局、86年よりNHK放送技術研究所に勤務。バーチャルスタジオ、番組記述言語TVMLの研究などCGを使ったコンテンツ研究に従事。2006年NHK退職、IT企業を経て2011年よりアストロデザイン(株)技術参与、2012年よりスウェーデンのUppsala大学のAssociate professorに就任。スウェーデン在住。