理科系のための、デカルト

主観と客観

これまで特に科学技術を勉強してきた、いわゆる理科系といわれる人々は、主観的と客観的ということについて、次のように考える人が多いのではないだろうか。

「主観的な物の理解というのは疑わしい。主観というのは結局、各個人がある現象についてどう感じて考えるか、ということで、個人の背景がみな違う以上、その結果がすべて一致するはずがない。一致しないということは、その当の「現象」の本当の姿を特定できないということだ。したがって客観的な現象の判断というものが大切になる。個人個人の多様性から独立した、ある客観的指標によって現象を測定すれば、その姿は一意に決まる。したがって、それを「皆」が正しいものとして信用することができる」

かくして、主観よりも客観の方が信頼性も高いし、役に立つし、高い価値を持つ、という考えを持つにいたる。現在の科学技術は、いまでもそのような原理に基づいて仕事を評価することが多い。これはその手の、たとえば工学系の学会にいる人はみな了解していることだと思う。

それで、当の「主観」と「客観」であるが、この概念自体が、日本ではおよそ150年前に西洋からSubjectiveとObjectiveという言葉で輸入され、それらに新たに主観、客観という造語を当てて使い始めた、ということを考えてみてもよいと思う。150年前より以前、日本には主観・客観という概念はなかったのである。

そして、その輸入元の元祖であるヨーロッパの哲学であるが、この主観と客観というものが、いま現在での形のように明確に区別されたのはそれほど大昔のことではない。私の考えでは、それを初めて明確に打ち出したのはフランスの哲学者のデカルトである。彼が「方法序説」という有名な短い本を発表したのがおよそ400年弱前。ヨーロッパとて、その考え方は比較的新しいものであった。ただ、それをその時代に新たに「産み出した」歴史的な土壌があちらでは綿々と続いていたのは確かだ。それに対して我が国はそれを産み出したのではなく「輸入した」ということは、肝に銘じておいた方がいい。

ここでは、その主観・客観、そして、その考え方に基づいた科学的思考と科学文明というものがヨーロッパに現れた、その元祖といってもいいデカルトについて、もう一回、きちんと振り返ることを、試みてみようと思う。

デカルトの時代

歴史の話から始めると、話は長くなり、往々にして退屈にもなるので、ここでは必要最低限につき、さらっと紹介しよう。

デカルトの時代は、ガリレオが地動説を発表し、それが宗教裁判にかけられ、有罪となった時代、と考えておけば十分であろう。太陽が回っているか、地球が回っているか、ということについて、その時代では個人が調べて決めることは許されておらず、それは神学によって一方的に決められる時代だったのだ。

いまの時代から考えると、事実の観察とその結果を論理的に分析して事実の真の姿を特定する、という方法が許されなかったなんて、いったいどうしてそんなことが可能だったんだろう、と訝しく感じるレベルではないだろうか? 恐ろしく権威的で時に暴力的な、強大な権力を持った教会という存在と、それらに盲目的に無反省に従っている民衆の群れ、みたいな、いま思うと何か不穏な風景が浮かんでこないだろうか?

では、いま現在の僕らがなぜ、そういう風に感じるか、というと、それはガリレオをはじめ勇気ある人々が長い期間に渡って闘って勝ち取った「科学的思考」というものを、僕らがほとんどその最初から身に着けているからである。僕らは、その正しさを信じて疑わない。でも、その「正しさ」はたかだか400年ぐらい前に、幾多の犠牲を払って「勝ち取られた」ものだったのだ。そして、現代ではこれは「社会常識」と「教育」のおかげでかなり隅々まで浸透している。

デカルトは、その「科学的思考」というものを、その時代に、初めて明確に宣言した人物であった。僕ら現代の科学技術文明の、まさに「元祖」と言って差し支えないだろう。そして歴史的にいうと、それゆえに彼もガリレオと同じく危険にさらされながら思索を続けた人であった。

疑わしいもの一切を疑う

デカルトがその方法序説(実はこんな堅苦しい名前ではなく、方法の話、ていどのフランス語の題名だったのだが)という本の中で、初めて定式化したのが、「我思うゆえに我あり」という命題である。あまりに有名な文句なので、デカルト哲学を知らない人でも聞いたことはあるだろう。彼はこの原理を導き出すために、その本の最初の方で「自分にとって完全に明快に納得できるもの以外の一切を疑う」という方法論をかかげている。結局、それが彼の考え方の「根本」であった。それをやってみると、どうやらほぼあらゆるものは「疑わしく」、疑わしくないものは「自分」だけ、ということになってしまう、というのが、この命題の意味なのである。

ところで、今の私たちは「自分にとって完全に明快に納得できるもの以外の一切を疑う」という方法論を聞いて「ふーん、なんだ、当たり前ね」と、あるいは反応するかもしれない。白状すると、これを書いている私も、かつて学生時代にデカルトを知ったとき「そんなの当たり前じゃないか。しかも、そのあげくに、我思うゆえに我あり、なんていう、これまた当たり前で、取り留めない、つまんないことを言うなんて、どういうことなんだ。だいたい、それが何の役に立つっていうんだ」と反応した一人なのである。これは先にも書いたように歴史的前後感覚の知識が自分に欠けていたからなのは明らかで、そういう風に「当たり前じゃん」と、ほとんど「先験的に感じてしまう現代に生きる自分」というものを、このデカルトという人がかつて作り出した、ということだったのである。すなわち、知らずして自分はほぼ完全なるデカルトの弟子のひとりだったのである。それを知らないだけだったのである。

本稿は、特に、科学技術の成果を先験的に「正しいもの」とみなして、疑ったことがない人たちに、なぜそういう僕らが生まれたのかを、辿り直してもらいたくて、書いている。そして、この「我思うゆえに我あり」という命題が、その後、冒頭で書いた「主観」と「客観」に基づく世界理解というものを作り出して行った、ということを説明したいと思う。

我思うゆえに我ありを辿り直す

それでは、デカルトがすべての思考の唯一の原理としてかかげた「我思うゆえに我あり」という言葉について、ここで、なぜそういうことになったのか、その道筋を辿ってみよう。

前節で書いたように、デカルトは、最初に、すべてを疑ったのである。しかも、99%確かなら良し、とせずに徹底的に疑ったのである。100%でない限りすべてを却下し、絶対に疑い得ない、掛け値なしに100%確かなものを探したのである。

まず、めいめいの持っている感覚というのはだいぶ信用できない。人によって違うし、たとえば酒を飲んだだけでもすっかり変わってしまうし、勘違いもあれば、錯覚もある。だから、視覚や聴覚、触覚などの感覚によって自分が確かめるものは、まずは疑わしいものとして捨て去らなければいけない。

それから、世の中にはみなが正しいと思っていることがたくさんあるが、それは、これまで色々な人が考えて得られたものの集積である。しかし、それらが誤っていないという保証はない。自分であってもちょっとした計算ですら間違えることがある。であれば、これまで正しいと思われてきたこととて、どこかに致命的な間違いがないと言い切れるものではない。したがってそれらは疑わしく、捨て去らねばならない。

あと、自分はいまいろいろなものに囲まれてここにいるが、私の周りにあって直接確かめられるこれらの物は確かであろうか。いや、ひょっとすると、これは夢かもしれない。これは夢ではないという保証はどこにもない。すべては夢でありうるはずなので、少なくとも、夢だか現実だか判断できない私の周りに広がる世界は、確かな存在とは言えず、疑わしいものではないか。それどころか、こうして存在している肉体を持った自分であっても疑わしい。現に、いまここに存在している自分という人間が夢か現実か断言もできないではないか。したがって、これらも捨て去らなければならない。

結局、何もかもが疑わしい。自分が「これは100%確かだ」と言い切れるための「基盤」になることはこの世の中には一つも無い。

しかし、待て。いま、上で「何もかも疑わしい」と言ったのは、この自分だ。ということは、疑わしいと言い放った自分は、なにはともあれ「ここにいる」と言えるのではないか。しかし、この生身の自分とて、やはり夢かもしれないし錯覚かもしれない。とはいえ、やはり、「自分ですら夢で錯覚かもしれないから疑わしい」と言っている自分も「ここにいる」のは確かだ。これは永遠に繰り返し疑い続けることはできるものの、永遠に疑い続けることができる「なにか」という主体は消えないわけで、それがこの「考える自分」だ。

すなわち「我思う」ということ自体は決して否定できないのではあるまいか。つまり、それこそが、あらゆる疑わしさを排除したあげくに残る唯一の確かなものではないだろうか。そして、こうして「考えて」いる「我」こそが100%確かなもので、「我」以外の他に、そういうものは、とりあえずは無いのではないか。であるならば、その「我」だけは、少なくとも「ある」と言っていいはずだ。

定式化すれば、こうなる─「我思うゆえに我あり」─これが世界のあらゆるすべてのことの「出発点」であるはずだ。

以上がデカルトの考えの道筋である。いま現在の私たちがこのデカルトの思考を辿ってみたとき、それほど違和感もなく、たぶん、そういう風にすべてを疑ったら、たしかにそういうことになるよね、と賛同できるのではあるまいか。しかし同時に、「我思うゆえに我あり」などという、なんだか抽象的な命題を出発点にして、この先いったい何が可能になるか、皆目想像できない、とも感じるのではないだろうか。

しかしながら、この命題は恐ろしくも強大な破壊力を持っていたのである。ひょっとすると当のデカルトも予期していなかったかもしれない。

というのは、この命題は、まず自分の意識というものを絶対的な形で明確にしたことで「主体」というものをすべての基礎に置いた。そうすると次は論理必然的に、その主体以外の外に広がる物が「客体」として分離して現れることになった。こうして「主体」と「客体」という区別が一気に作り出された。そうすると、自分という主体が、外に広がる物という客体について考えるという図式ができ、主観と客観という概念ができた。そして客観的な物の性質を調べる科学的思考というものを、それまで適用外とされていた世界のあらゆるものに適用できるということが保証され、それによって客観的な事実について、次々と連鎖的にそれを明らかにすることで、世界のあらゆるものが説明されうることになった。そして、加えて、その成果を利用することで科学技術が作られ、それが近代の産業革命に連なり、そして、その結果として科学文明の多大な恩恵を受けた現在の私たちが生まれた。我思うゆえに我ありという言葉は、このような壮大な物語を作り出した、ということになるのである。その影響力の巨大さは、一種、恐ろしいぐらいのものだと言っても、決して過言ではないと思う。

それでは、以上について次にもう少し詳しく見てゆこう。

主体と客体の分離

我思うゆえに我ありは、哲学的に見ると、たくさんの問題をはらんでいて、理解するのは決して簡単ではない。でも、ここでは、あまり難しく哲学的に考えず、理科系の人でもそこそこリーズナブルに理解できる方向で考えてみよう。その結果、哲学的には少々あいまいで強引になるが、それは差し引いて考えてほしい。

さっき、この命題が主体と客体を一気に作り出した、と書いた。そこで、一つ重要なことがある。デカルトは、「我思う」ということが「ある」と考えたわけで、それは、自分という物理的肉体を持った人間が「ある」という意味ではない、ということである。それは「考える主体」ということで、それに肉体が備わっているかいないかは分からないのである。というかそれは「疑わしい」のである。さっき「これは夢かもしれない」という文句が出てきたのを思い出して欲しい。夢の中の自分には肉体は無い。したがって、「考える主体」は身体を持たない、いわば「精神」なのである。

そうして、「考える主体」というものを「絶対的」なものとして打ち立てた後は、それ「以外」のものはすべて、一種疑わしい「物的」な存在にならざるを得ない。そのようにして、考える主体と、その自分の身体も含めたそれ以外の物的存在が完全に「分離」される。そして、その前者が「主体」、そして後者が「客体」として完全に分離されることになった。こうして、主観と客観はデカルトにおいて、初めて明確に分離され、そして確立したのである。

そして、デカルトはその地点から考えを進める。疑わしい客体、つまり疑わしい物的存在を、明証的な論理の力で一つ一つ徹底的に考え、疑わしさの無い論理的推論で、一つ一つ明らかにしてゆこう、と考えた。そして、論理というものの性質上、この推論の連鎖は無限に続くはずで、客観物は、次々と明証的に明らかになってゆくだろう、と考えた。これが、科学的思考のもっとも現代的な姿と一致していることは、賛同できると思う。つまり、現代的な科学思考はデカルトが生み出したのである。

ここで注意しておきたいが、ときどき、デカルトについて「現在の我々の科学的思考法というものを、デカルトもすでにこの時代に持っていた」と解説するのを見かけるが、これは間違っている。そうではなく「かつての時代のデカルトが、現在の我々の科学的思考法を作り出した」のである。この間違いは、科学的思考法は正しいと頭から思い込んでいる人がよく犯す間違いである。

それはともかく、ちなみにデカルトは数学者でもあり、彼の数学での一番の功績は、「座標」を発明し、それにより幾何学と代数学を結び付けたことであった。つまり、客観的物的世界をそれまであれこれと明らかにしていた幾何学を、xy座標というものを使って、代数という純粋な論理に置き換え、代数論理によって客観世界を解明する道を開いたのである。これは、よくよく反芻してみると、恐ろしく斬新な考え方で驚くが、デカルトその人は、この発見は自分の哲学によって打ち立てた原理を使って、何の苦も無く、ごくごく自然に達成された、とさらりと言ってのけている。まさに「天才」であるが、これは、彼の見つけた「我思うゆえに我あり」という取り留めなく見える哲学原理が、実際に驚異的に役に立つ数学的思考に結び付いたことを示していて、おもしろい。

さらに、デカルトは、自分の肉体も客観物として分離したので、いとも簡単に、生物を「物」として扱い、生物の身体も物として分析し解明できるものとすることができた。これが有名な彼の「動物機械論」で、デカルトにとって動物の身体は機械として理解して一向にかまわないものになったのである。我思うゆえに我ありで、考える主体、すなわち「精神」は分離されてしまったので、「身体」の方はいくらでも科学的思考の対象として理解されていい、というわけだ。もっとも、デカルトは動物の中で人間だけは物的な機械であると同時に精神をも持つものと考えたので、人間を完全な機械であるとすることはできなかったようだ。

しかし、以上の、生物を機械とみなす考え方が、その後の西洋医学の基礎となったことは、言うまでもないだろう。そして、やがて時代が進むと、デカルトの初期の意図から外れていって、人々が、その「身体」という機械が、逆に「精神」と呼ばれるものを生み出しているのではないか、と考えるに至ったことは自然な流れであろう。たとえば現代の脳科学の多くは、そういう原理に基づいている。

こうして、科学思考は、生物の身体も含めて世の中の客観物を次々と明らかにするが、いまだその解明が及ばない部分はたくさん残る。しかし、明らかになった領域は常にその大きさを広げていって、遠い未来では、きっと科学によって解明できないとされた領域をも明らかになってゆくであろう、と考えて少しも不思議ではない。実はデカルト自身はその時、すべてが明らかになる、とは言わなかった。デカルトは神を信じていたのである(これについては、いつか書くと思う)。なので、むしろ、デカルトは、神から一歩離れた「人間が活動する領域」というものを保証した人だった、といった方が正しいと思う。そして、人間が活動する領域は無限に拡張され、科学的思考に基づく人間の「進歩」というものの無限の可能性とその恩恵が、ここに保証されたのである。

今でも、おそらく科学を信奉する人たちは、根拠はないにしてもわりとはっきりと「いずれはすべてのことが科学で解明されるはずだ」という感覚を持っていると思う。それは、デカルトが開いた上記の道筋の論理的帰結なのである。

デカルトの限界

以上のような道筋を辿って、デカルトの哲学は、現代にいたる科学文明の繁栄の基礎を作った、と言える。そして、ということは、現在の科学文明の行き詰まりや行き過ぎもデカルトにその起源がある、ともいえるわけである。

実は、その行き詰まりは、科学よりも先に、哲学に現れた。デカルトの我思うゆえに我あり、主体と客体の分離、精神と肉体の分離、という命題は、その後の西洋哲学に到底解決しがたい難問を突き付けた形にもなった。デカルト以降の西洋哲学は、意識という主体が、物という客体を認識して、それによって世界を理解する、という方法が生み出す困難をどう克服するかに費やされたといってもいいほどであった。この哲学上の困難の話は、だいぶ難しく、また別稿で紹介するかもしれない。

とはいえ、少しだけ触れてはおこう、こんな感じである─ 「デカルトの原理は、物を客観的に分析して明らかにする科学的思考を基礎付けたが、考えてみるとその科学思考は人間という主体が主観的な経験と観察に基づいて作り上げた方法論に過ぎなくて、結局は主観的なもので、その基盤を持つといえないのではないか。しかも、人間が観察して明らかにしたと思い込んでいる「物」が本当にそこにその姿で「ある」と保証することはできないのではないか。結局それは主観的な判断の総合に過ぎないではないか。主体が客体を認識する、という一方向な考え方では、客体が本当に存在するということすら言い得ず、世界のすべてを理解することは、結局はできず、さらに世界の重要な理解までも取りこぼす、ということになってしまうのではないか」

ややこしい話だが、ここでの議論は、結局、最初にすべてを疑ったデカルトに戻って来ていて、堂々巡りをしている、ということが何となく直観できれば十分だと思う。つまり、我思うゆえに我あり、という原理は完全なものではなかった、というだけでなく、新たな困難を生む厄介なものでもあった、ということに皆が気付き始めたのである。

以上は哲学での話だが、科学技術を信奉する現代のわれわれも、主観的と客観的という考え方で、そろそろすべてを片付けることはできなくなっていると思わないであろうか。本稿の冒頭で、主に理科系の人たちが信じている主観的判断のあいまいさと、客観的判断の正しさ、というものを紹介したが、さて、現代のこの世の中で、その客観的基準に基づく客観的判断というものが、時にひどく私たちの活動を阻害している、ということに気づき始めてはいないだろうか。

現在の古いタイプの日本の大企業や大学の多くは、いまだにこの客観指標で多くを判断しているのは知っての通りである。研究開発の発案、企画、計画、実施、評価のすべてが、過去に作られた客観指標、あるいは上層部の点数付けの合計で行われ(これは主観評価なのだが、客観的評価ポイントを定め、複数の評価点を合計して平均することで、客観的評価とみなしているのである)、さらに人事という人材判断の場でも客観的根拠を求められる、等々。そうした過度の客観性の優先が、仕事における自由な発想の芽を摘んでしまい、結局は、失敗を恐れない外国企業のやり方に圧倒されてしまい、どうしても新しい展開を作り出せない、ということは、最近の日本では常に聞かされる問題である。これらは、客観的判断の正しさを信じることの行き過ぎによって起こっているとも取れる。

この手の問題を、遠くデカルトのせいにするのは、言い過ぎだし、取り留めもなく、第一、それでなにが解決されるか分からない、と思うかもしれない。しかし、この問題はだいぶ根が深い、ということは賛同してくれるのではないだろうか。たまには、哲学から、科学、そして工学、そして物質文明という大きな流れを把握することも必要なことだと思う。

そして、一番大切なのは、「思い込み」からの自由だと思う。実はデカルトその人が400年前、それを大胆にやってのけたのだ。当時、神学が決めていたことを盲目的に正しいと「思い込んでいた」人たちに対して、デカルトは、その思い込みはおかしい、と反旗を翻したのである。そして、彼は、その代わりに、誰でもが等しく持っている理性を使い、科学文明の繁栄の基礎付けをした。しかし、今度は、そのデカルトが基礎づけた科学をわれわれが盲目的に正しいと思い込んでしまっている。今度は、私たちが「その思い込みはおかしい」と、私たち自身に言うときが来ているのだと思う。

これは400年経った今でも同じことなのだ。デカルトが持っていた「思い込みを疑う」という態度の正しさは、今でも少しも変わっていない。デカルトの思想は、多くの恩恵と同時に多くの問題を引き起こしたが、デカルトその人のその自由な精神はいまだに色あせてはおらず、その精神は不滅なのである。私たちはそういう意味で、いま一度デカルトを辿り直し、そして彼の精神を見習わなくてはいけないと思うのである。

(林正樹)